「とらわれ」の苦しみから立ち直るために~「普通神経症」「パニック」の体験
浅草集談会 M・きしもと
いつも体調を気にする日々
それは、私にとって、びっくり仰天する出来事でした。
学校の帰りの電車の中で、急に気分が悪くなり、家に帰ってからも腸がねじれるような感じで、七転八倒して苦しんだのです。しかし、医者は「特に悪いところや、異常はないようだ」というのですが、「これは大変なことが起こってしまった、今度起きたら本当に死んでしまうかも知れない」と、
「思い込み」をしてしまったのです。
そのような経験をされた方もいらっしゃるかも知れません。
私の場合、すべてはここから始まったのです。
それからは、いつも体調を気にする日々が続くようになり、次第に得体のしれない心身の違和感、不調感、時々起る心臓の動悸にさいなまれていきました。
私はその後、25歳頃からと、さらに30歳すぎと、それぞれ2~3年間、3回にわたり、たとえようのない違和感、不調感の苦しみに悩まされました。
いずれも何とか立ち直っていきましたが、
「なんとなく治ると、なんとなく再発する」と言われますように、
「再発」を繰り返したのです。
なぜ起こる、たとえようのない違和感、不調感のメカニズム
なぜ、再発を繰り返したのでしょうか。
それは、得体の知れない身体の不調感や心臓の動悸などが、
「どうして起こるのか」という
メカニズムが分らなかったからなのです。その為に、
「どうしたら良いのか」が分らなかったのです。
そのせいで3回も「再発」を繰り返し、さまよい歩いたのです。
しかし、そのような
「身体の違和感や不調感にとらわれるメカニズム」が分ったことによって、「これで何とか治っていくかもしれない」という
「希望」が生まれたのです。
体調が乱れはじめ、気になる違和感が起こりはじめると、私は
「あわてて」しまい、何とか
「押さえ込んで」しまおうと必死になってしまったのです。それが、かえって状況を悪くしてしまったのです。
「逆」だったのです。
「何もしない」で良かったのです。
「そのまま」にして、目の前の必要事を行なっていれば、
心と体の「自然治癒力」が働いて、元の正常な状態に戻してくれるのでした。それが、森田療法でいう
「あるがまま」で居ればよい、という事でした。たとえ、違和感が起こったとしても、
「そのまま」に、
「あるがまま」に
「普通に行動」が出来るようになれば、それが
「治る」という事でした。
心と体の『自然治癒力』が治してくれる
それは、薬や医者が病気を治すのでなく、
「自然治癒力」が治すのと同じだったのです。その
「自然治癒力」にすべて
「おまかせ」すればよかったのです。
そのことが分かっていくにつれて、「行きつ、戻りつ」でしたが、私は、次第に立ち直っていきました。今の私は、大きな再発はなく、元気に、普通に、毎日を過ごしています。
どんなに症状などの種類が違っても、
「基本になる、底に流れるものは同じ」でありました。
神経症に陥るメカニズムには、共通するものがあり、みな同じであったのです。
発見会、集談会は「学びの場」、自分で「自分を育てる場」
発見会では「なぜそのような苦しみに陥るのか」を学びます。また、自分に起った苦しみ、次々に起こる色々な問題を「どのように受け止め、どのように行動すれば良いのか」も学びます。その為の学習会があり、集談会でも、経験を出し合いながら話し合います。
発見会、集談会はそのような
「学びの場」なのです。そして、
自分で「自分を育てる場」でもあるのです。そのような
「場」は、全国に百数十個所あり、関東地区は50数個所あり、毎月一回、さまざまな形で開かれています。会員であれば、どの「場」に出るのも自由なのです。会員になる前に、試みに出られる「場」もあります。そのような
「場」に出てみると、
「新しい世界」が開けてくるのです。自分ひとりで本を読み、考えている場合には得られない
「場の力」が働くからです。その「場」には、絶大な力があるのです。気付かぬうちに、体が感じ取っているのです。それは
「物事そのものの力」なのです。
あなたも、出席してみませんか。私は、そこで得たものが一番大きかった、という気がしています。それと、日常の何気ない必要な行動の
「積み重ね」や
「継続」すること、そして、毎日の仕事をすすめる「場」で得たものとで、本当の意味で
「治った」のです。